6:6 私は嘆きで疲れ果て
夜ごとに涙で寝床を漂わせ
ふしどを大水で押し流します。
6:7 私の目は苦悶で衰え
私のすべての敵のゆえに弱まりました。
良心の呵責が迫ると、落ち込みと疲労がいっぱいになり、自分ではどうにもできなくなる。また、ダビデは敵を見ると燃えるタイプなのだが、このときの状態は気力を失い、むしろ敵が追い打ちをかけるかのように、なじっていたのであろう。あたかも「お前が悪い」「だからそうなった」などと。
ひたすら涙、涙で、布団を濡らすほど、夜も眠れぬほど、苦悶に悩まされた。
しかし、この苦悶は神の導きでもある。自分の気力や努力を放棄させ、神の憐れみと助けの中で「救い」を見るようにするためである。救いや恵みは、このような絶望や放棄から注がれるものである。
「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです(マタイ5:4)。」
<祈り>
辛いこと、悲しいこと、悩ましいことがあったとしても、その先に神が顧みてくださることを信じます。そこから救い出し、恵みに変えられることを待ち望みます。
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