6:4 【主】よ 帰って来て
私のたましいを助け出してください。
私を救ってください。あなたの恵みのゆえに。
6:5 死においては
あなたを覚えることはありません。
よみにおいては
だれがあなたをほめたたえるでしょう。
ダビデは、良心の呵責、罪の苦しみから解放されるのは、ただ主の助けしかないと知っていた。
ちなみに仏教も「他力本願」を唱えており、自らの修行によって悟りを得るのではなく、他(阿弥陀仏)の本願(慈悲)に頼って成仏(煩悩からの解脱)するという点では共通しているが、他すなわち仏が実在でないゆえに、観念的なところで終結し、結果として本当の解放はない。
永遠であり生きて働かれる主の憐れみによって(6:2)、恵みによって(6:4)、全き解放が与えられるのである。
ダビデは、呵責から早く解放されたい思いがあり、また主がそれを成してくださる確信があった。彼は、呵責のまま死ぬことを望まない、霊と肉が生きて礼拝を捧げたい(覚える、ほめたたえる)と訴えていた。
私たちも霊と肉が活き活きとした礼拝を捧げよう。そのために罪の解放を受け取っていこうではないか。
<祈り>
主よ。あなたの憐れみと恵みを求めます。私たちを助け、守り、罪の解放すなわち平安へと導いてください。あなたを心から賛美し、礼拝捧げます。
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