6:2 【主】よ私をあわれんでください。
私は衰えています。
【主】よ私を癒やしてください。
私の骨は恐れおののいています。
6:3 私のたましいはひどく恐れおののいています。
【主】よあなたはいつまで──。
良心の呵責は、時に、ひどい恐れをもたらす。骨(からだ)もたましいも震え上がるほどに、衰えて癒やしが必要なほどに。この辛さや恥に耐えられず、様々な逃げを講じてしまう。
アダムがエバに責めをなすりつけた「転嫁」、パリサイ人と取税人の祈りに見られる「比較」、パリサイ人たちがたびたび指摘される「偽善」、イスラエルの民がしばしば預言者に逆らって歩む「否認」など、罪に向き合わず(すなわち義と良心に向き合わず)、それで良しとみなし、呵責から逃れようとするのが人間の常である。
この良心の呵責は、いつまで続くのか、いつ終わるのか、だれもわからない。しかし、神は悔い改めを望み(ペテロ第二3:9)、悔い改めを蔑まれない(詩篇51:7)ことをしっかり覚えておこう
<祈り>
神が与えて望んでおられる悔い改めを忘れず、呵責から逃れず、神からの責めを受け止め、義に生きることができるように導いてください。
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