9:3 私の敵は退くとき
御前でつまずき ついえます。
9:4 あなたが私の正しい訴えを聞かれるからです。
義の審判者として王座に着いておられるからです。
9:5 あなたは国々を叱り 悪しき者を滅ぼし
彼らの名をとこしえに消し去られました。
9:6 敵は絶え果てました。
──永遠の廃墟
あなたが根こそぎにされた町々──
彼らの記憶さえ消え失せました。
9:7 しかし【主】はとこしえに御座に着き
さばきのために王座を堅く立てられた。
9:8 主は義によって世界をさばき
公正をもってもろもろの国民をさばかれる。
ダビデは勇者であり、全戦全勝の戦士であったが、勝利は神のものであり、神こそ王であると宣言していた。これが神に対する正しい認識であり、正しい信仰である。全権者である神を認める時、義の審判者として「叱り」「滅ぼし」「消し去る」「絶え果てる」「根こそぎにする」「記憶を消し去る」神はこれらを実現されるのである。
5節6節にある動詞は預言的完了形という過去形で、「悪しき者は既に消し去られた。またこれからも消し去られるだろう。」という二重の意味を持つ。これも信仰的態度である。「その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた(イザヤ53:5)。」のように、今まで癒やされてきたし、これからも癒やされると信じる。
神のなさることは、一個人だけにとどまらない。国家的に、全世界的に裁かれるのである。それゆえ、私たちの祈りや願いが一個人でとどまってはならず、家族、教会、地域、国家に対しても祈り続けていこう。
<祈り>
全能で全権をもっておられる神を信じ、神を崇め、神に従い、神に期待しています。どうか、私に関わる全てを、家族を、教会を、地域を、国家をお救いください。
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