詩篇1:4-5
悪しき者はそうではない
まさしく風が吹き飛ばす籾殻だ。
それゆえ悪しき者はさばきに
罪人は正しい人に立ち得ない。
罪人も正しい人も、この地上で同じように生きているように感じるが、ひとたび風が吹くと明らかに双方の違いがわかる。籾殻のように風に飛ばされて消えてしまう儚いものか、しっかりした木の根によって風が来ても傾かないか。必ず結果が出てしまう。
正しく生きる(御言葉を慕って生きる)か、悪しき者(はかりごとに歩み、罪人の道に立ち、嘲る者の座に着く者)となるかは、その人の選択である。それゆえ、選んだ結果が生じ、神のさばきの前に立つことができなくなる(すなわち神のさばきから免れない)。
また、罪人は正しい者の集い(礼拝と交わり)の中に入れない。たとえ、他者から痛めつけられたり、その他礼拝できない理由があったとしても、礼拝に集まることをやめるなら、それは他人の問題ではなく、自分自身の問題である。赦すことができず、御言葉が根付いていないからである。
風が吹いても、しっかり御言葉の根を下ろして、さばきの日に備え、集まりをしっかり保とうではないか。
<祈り>
試練やさばきや誘惑などどんな風が吹いても、飛ばされず流されず、御言葉に根付いて主に従っていけますように。
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