3:1 【主】よ なんと私の敵が多くなり
私に向かい立つ者が多くいることでしょう。
3:2 多くの者が私のたましいのことを言っています。
「彼には神の救いがない」と。 セラ
「セラ」という単語は、その意味が不明で、「上げる」もしくは「屈する」と解釈されている。
もし、「上げる」と考えるならば、声を上げる、楽器演奏を強調するとなる。言わば、大きな声をあげて歌おうという楽譜のような意味であろう。
もし、「屈する」と考えるならば、そこで神を拝し、立ち止まり、主を見上げていこうという姿勢を表す。
いずれにしても、「セラ」という文字が出てきた時に、その前後の言葉に注目し、その思いに身を合わせ、告白するのである。
ダビデは、知らぬ間に自分の敵が増えていて、先日まで味方だと思っていた民がいつの間にか自分に向い立つ者となって、驚きとおののきと心の痛みを感じたのであろう。そればかりでなく、自分のたましいに向かって(心が折れるように)、「神の救いはない」(ダビデはもうだめだ、神も誰も助けない)と絶望させようと言ってきた。
その時、ダビデは苦難に目を向けず、神を見上げたのであろう。苦難を知っておられる神に向かい、「神の救いはない」彼らの言葉は偽りだと訴えたのであろう。
<祈り>
私たちがどんな苦難、悩み、痛み、困難にあっても、主を仰ぎ見て、救いを求めます。主こそ、私たちの助け、守り、力です。
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