詩篇 2:1-3
2:1 なぜ国々は騒ぎ立ち
もろもろの国民は空しいことを企むのか。
2:2 なぜ地の王たちは立ち構え
君主たちは相ともに集まるのか。
【主】と主に油注がれた者に対して。
2:3 「さあ彼らのかせを打ち砕き
彼らの綱を解き捨てよう。」
この詩には表題がないが、ダビデが詠んだと言われている(使徒4:25-26)。内容からして、ダビデの実体験であり、信仰告白であるのだが、やがて主イエスとその信仰者たちに対する預言となっている。
油注がれた者をヘブライ語で「メシア」と言い、ギリシア語で「キリスト」という。もとは、モーセの兄アロンから始まった、祭司に油を注ぎで任命したことから由来する。やがて王の任命(サウル王、ダビデ王)、預言者任命(エリシャ)に用いられた。ユダヤ人たちは、やがてバビロン捕囚から帰ってきて、自国の弱さを知り、神への求めが起こり、真のメシア(祭司であり、預言者であり、王である方)が来られる啓示を与えられていた。
油注がれた者に対抗する人たちは、騒ぎ断つ、企む、立ち構える、集まる、打ち砕く、解き捨てるというような罪の姿勢が現れている。これはダビデに対抗する人たちの姿であり、やがて主イエスに対抗する人たちの姿でもある。終わりの時代に現れる反キリストでもある(ヨハネ第一2:18)。彼らがどんなに強力であっても、徒党を組んでいても、それは空しいことである。
彼らは信仰者に対抗しているように見えるが、それは主に対して対抗しているのである。それを知らずとも、主と油注がれた者に対抗することが愚かであることを思い知らされるであろう。
<祈り>
私たちを油注がれた者と同じ扱いにされ、私たちに対抗する者たちに対して主が治めてくださること、感謝いたします。
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